いい意味で「意味わからん存在」
【いい意味で「意味わからん存在」】
このことばを、
だいすきな後輩からもらった。
彼のことをなぜか
やたらとおうえんしたくなるし、
いろんなことをそそのかしてしまう!
いろんなことを吹き込んでやろう!
*
わたしはずっと「意味」を求め続けてきた。
大学生のころ、
わたしは、
なにかをするとき、
どんな意味があるのかをずっと大事にしていた。
なぜか?
だれにだって、応援してもらいたいし、
だれにだって、理解してもらいたいって思っていたから。
とにかくだれかにわかってほしかった。
だれかが納得してくれるような、意味を求め続けた。
求め続けた、というか、
たくさんの意味をつくった。
これをやれば、だれかの役に立つよね?
これをやれば、なにかが変わるよね?
これをやれば!これをやれば!
だれかが、ほめてくれるよね????
ほんとは、だれかの役に立つ、とか、
なにかを変える、っていうより、
ほんとうはだれかにほめてほしかったんだ。
*
ぎゃくに言えば、
だれかの役に立たないと、
なにかしおもしろいことをしていないと、
だれからも認められないんじゃないかって、
こわかった。
じぶんの味方になってもらうために、
意味、意義をつくった。何度も。
でも、
でも、
意味ばかり求めていると、
「やる」ってことよりも、
意味ってものの重たさに身動きができなくなっていた。
*
身動きがとれなくなって、すごく、すごく後悔したことがある。
*
大学4年生のとき、
わたしのたいせつな場所だったビオトープの上に大講義棟が建てられることになった。
(たいせつな場所「だった」って書いてるだけでも涙が出てくる)
わたしは、なにか、したかった。
わたしは、どうしてつくるの?とか
それってほんとうにひつようなの?とか、
大学を経営をしてるひとに、
ひとこと聞きたかった。
在学してる1人の学生として。
ただ、そのばしょを愛するひとりのにんげんとして。
先生たちは、
わたしにビオトープの上に大講義棟を建てるらしいって、さびしそうに嘆いてた。
ああ、
それなら、
ビオトープでおもしろいことすれば、
「ここ、たのしいし、だいじなばしょだよね!」
って学生のみんなも気づくかもしれないし、
大学のことを決めてるおとなたちが振り向いてくれるかもしれないって。
でも、
わたしは、なにもできなかった。
動き出せなかった。
卒論、ほかのこともあり、
なんだかんだで、いつのまにか卒業してた。
今も建設中の大講義棟。
みんな、いきうめ。
今も、大学に行くたびに、
くやしくて、くやしくて、
じぶんがいやになる。
そんなふうに自分がやろうとすることの意味ばっかりおいかけてたら、
意味ばっかり、考えてたら、
なにもできないじゃないか。
*
そんなわたしの荷物になってしまうような「意味」ってやつは最近、べつにいらないような気がしてる。
だって、
いままでわたしがやりたくてやってきたことって、
ほんとのほんとは、
「意味(理由)」なんてなかったから。
わたしは、
ただそれが、
「やりたかった」
ただそれだけ。
川で泳ぎたいから泳いだ。
はだしで歩きたいから歩いた。
かえるがすきだから、わたしはかえるちゃんって呼ばれてるんだし。
自然のなかに身を置いてることがしあわせだから、そうしてるし、そうしていたい。
たいせつなひとにつたえたいことがあるから手紙をかく。
やってることって、
ほんとはとってもしんぷるだった。
そしたら、
するすると流れてゆく、
おもいきり、出し切れるところまで。
*
むつかしいことを言いたいひとは、
言えばいいと思うし、
理屈がたのしいひとは
それをたのしめばいい!
でもわたしのちいさな脳みそは、
それなしで、
ほぼ、本能のまま、生きることが、
じぶんにいちばんいいんだ。
ああ、
ひとりのにんげんになろうと努力したわたし、
おつかれさま。
ああ、1ぴきのにんげんのわたしが、
ちょうどいい。
(わたしの感覚)
*
意味に振り回されちゃうくらいなら、
意味なんか置いといて、やりたいこと、ぜんぶやっちゃうんだ。
ひとのために意味なんて作ってる場合じゃない。
わたしのために、
わたしがいいとおもったことを
ぜんぶやるだけ。
ていうか、
「意味わからん」
ほうがおもろいやん。
「意味わからん」ほうが
気になるやん。??
「意味わからん~!」
そんな違和感が、
日常に、色を添えていく。
おかげさまで、
家族にも「意味わからん!」いただく・
わはは。
かんたんに
わたしのこと
「わかる」なんて
言ってんじゃないぜ~~?
だれも、
だれかのことを「わかる」ことなんてできないんだ~!
「意味わからん」がほめ言葉。
しあわせハッピー野郎!最高。
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やりたいかやりたくないか
動き出すのがこわくなったりしたら、
できるかできないかじゃなくて
やりたいか、やりたくないか!
そしたら、
やるかやらないかがわかる!!!
そんな気がしたよ。
踊る阿呆に
見る阿呆
おなじ阿呆なら
踊らなソンソン!
みんな
踊る人生を!
使い切られたトイレットペーパーを新しいのに替える。そんな人生を送りたい。
使い切られたトイレットペーパーが待つ、
トイレにわたしは、入りたい。
小学生のころから、
トイレットペーパーがなくなってるトイレに入るのが、
わたしにとってのちいさなラッキーだった。
*
トイレットペーパーがなくなってたら、
わたしは、新しいトイレットペーパーをセットすることができる。
たまに、
ペーパーを支える棒が転がったり、
バネが飛び出てきたり、大変なこともある。
でも、わたしは、
使い切られたトイレットペーパーのトイレでは、
新しいのをセットせずにはいられないのだ!!!
つぎのひとはあたらしい、ぶあついペーパーを使うのや~♪
そんなことを想像しながらセットする。
わくわく。
たまに、うれしくなって、
逆三角に折ったりして、得意げなかおをしてトイレから出たりもする。
ひひひ。
もし、わたしが自由にしていいアジトや空間をつくるときには、
トイレをおもいきりたのしい空間にするゾ。
トイレから出たくなくなるような。
トイレになんども行きたくなるような。
(おなかをくだすような食事をつくれば、みんなトイレからでれなくなっちゃうネ)
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ひたすらに
ただ、ひたすらに、
じぶんのたましいを、
じぶんのいのちを、
おもいっきり、つかいきるくらいに、
それらを、
この世に放っているひとってのは、
ほんとうに、うつくしい。
それは
音楽であったり、
言葉であったり、
絵であったり、
いろんなかたちで、わたしの目のまえに現れる。
そのうつくしさにうっとりして、
わたしのこころはおどるんです。
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デモなんかやったって、何が変わるというのや
「デモなんかやったって、
何が変わるというのや」
そんなふうに、
こころの底のどこかで
あきらめていた、
そんなふうに、
かなしんでいた。
そんなふうに、
憤りをかくしていた。
*
よく晴れた、
今年の311
私は名古屋で行われた
「3.11原発ゼロNagoya Action」にいた。
http://blog.livedoor.jp/genpatuiranganena
メキシコのチアパス州のコーヒー豆を
ひきひきしていた。
コーヒー屋さんは初めてのこと、
てんやわんや、
でもいろんなひとが来てくれてたのしい。
青空の下、
ちゃぶだい囲んで、
コーヒーすする。
*
6年前の
地震が起こった時間に黙祷をする。
太陽に向かって黙祷をした。
すると、こころがおちつかなくなった。
こわくて、くるしくて、
だれかにたすけてほしかった。
*
わたしはちいさいころから、
にんげんにうまれたことがずっといやだった。
にんげんに生まれたことに違和感、
「なんでうちはにんげんなんやろうか」
そんなことをおもってた。
ちいさいころから、
にんげんといういきものがだいきらいだった。
にんげんはわたしのだいすきな自然を、
美しい命を壊してしまう、殺してしまう。
にんげんはうそつきだ。
にんげん同士でも傷つけあう。
自然破壊、社会問題、
新聞やニュース、大学の講義で
現実を知れば知るほど、憤った。
にんげんなんか滅びてしまえ。
本気で思っていた。
でも、
わたしも「1ぴきのにんげん」だった。
あ~あ、
そのたびに、
わたしはどうしていいかわからず、
吠えて泣いていた。
*
黙祷のあと、
その憤りがぐわぐわあ~、っと
湧き上がってきて、
「どうしよう、どうしよう」
涙が出る。
ドクドク、ドクドク、どくどく、どく。
心臓はいつものように動き続けていた。
わたしがこの世に生き続けていることを、
突きつけられる。
*
フクシマの原発、どうなってるんだろう、
原発のごみって、どうなるの?
どうしたらいいのかわかんないのに
(最終処理のこととか事故が起きたときとか)、
どうしてそれを続けるんだろう、
日本各地に原発はあるよね、
見えない放射能から、
どうやって、体を守るの?
草木、いきものたちはまだそこで生き続けているよ。
地元に帰ることができなくなるってどういうことなんだろう?
帰りたいのに、帰れない、
還れない、もう住むことはできないのかな。
広島と長崎に原爆が落とされたよね、
みんな知ってる、
それなのに、どうして原発はいまもあるし、
他国に原発の技術を売ろうとしてるの?
*
なにが平和主義や、
平和ってなんなん。
,
で、それをどうしてわたしは、いままで、
じぶんのはらのなかでぐるぐるまわして、
いかりつづけていたのや。
いまの現状もむかつくし、
じぶんのこともむかつく。
*
刻々と
デモをする時間が近づく。
このまま
コーヒー屋でじぃっとして店番することもできる。
でも、なんか、
なんか、
動き出したかった。
でも、
それが、
こわかった____________。
「デモなんかやったって、
何が変わるというのや」
そんなふうに、
絶望していた。
でも、そんな絶望のなかを
立ち止まっているのもこわかった。
*
ちょうど、その、
こころがおちつかないころ、
コーヒー屋に視覚障害のあるかたが
コーヒーを飲みに来てくれていた。
「デモ、行くんですか?」と聞くわたし。
「いっしょに歩いてくれるひとがいれば、行きたいと思っています。」と、彼。
わたしは、彼と一緒に歩きたかった。
「いっしょに、歩きましょう。」
わたしはひとりで歩くのがこわかったんか。。
わたしは、ひとりで動き出すのがこわかったんか。
*
彼は何度かデモに参加していた。
「デモってなんでするんだろう?」私は聞く。
「主張する、ためかな。」彼は答えた。
そうこうしていると、
マーチングバンドのみなさんが
はじまりの合図を奏でてくれる。
「みんなが歩き始めました、行きましょう○」
彼の手をわたしの肩に置いてもらい、
一緒にあるきはじめた。
*
前でバンドのみなさんが音楽をかき鳴らす、
これは、、「パレード」だ。
だんだんと、
みんなが声をあげていく。
訴える、というより、
歌ってる。
へいわのうた。
ああ、ああ、
こうやって、声に出すのか。
今までの憤り、悲しみ。
涙が出てくる、
ああ、ああ、
そうか、
デモなんかやったって、
なにが変わるというのや。
「「「そんなん、
雷を打たれたように変わるよ。」」」
わたし自身が変わり果てた。
からだもきもちも変わっていくように感じた。
わたし自身が見る世界が一変した。
:
今の状況が、
一瞬で変わるわけないことなんか、
みんな知ってる。
そんな簡単なものやと、
みんな思ってない。
だからって
あきらめてええのか?
ただでさえ、いまの政治のわけのわからん状況。
そのまま、
自分のこどもにバトンパスするんか?
「なんの意味があるのや」
「なにが変わるというのや」
なんて、他人事にしてる場合なんか?
*
声をあげること、
声をあげ 「つづける」ことがだいじなのや。
どこのだれかも知らんひとと歩く、名古屋のみち。
泣きながら、大声出しながら、あるくみち。
なんだかたのしくなってくる。
ゆかいなゆかいなパレードや。
となりには、
初めて会った、おじさん。
いっしょに、声を出す。
だれかと共に在るんだ。
いつだって、
どんなところにいたって。
なんだか、
それがとても特別に感じた。
ああ、なんでも
声を出してみよう。
自分のなかが変わる。
「わたしは、
にんげんとして、
生まれた、
そして、
にんげんとして
これからも生きていく」
*
名古屋での日々、
いろんなにんげんに出会えた。
「にんげんって不完全やからおもろいやん?」
そんなことばももらった。
かっこわるいとこも、
いやなところも、
おもしろがれたらたのしいね。
:
不完全さ、
かっこわるさ、こそが人間味。
にんげんあじ。
みんな、
いっしょに味見してみる?
ひとも、この世界も味見しちゃお。
そうして、
味見の感想は?
どんな味付けにするかはあなた次第。
ふんふふふん♪
おいしい、せかいにしませんか。
たまに、まずいと、わらっちゃお。
いっしょに、
この世をいただきましょう。
*
あの日、目に焼き付いた、
虹色の旗をふるオジサン。
その旗には「PEACE」