いきものと せいかつする

 

お父さんと

 

お母さんと

 

生活している。

 

 

 

2人の

 

おとなの

 

にんげんと 暮らしている。

 

 

 

わたし以外の

 

いきものが

 

おなじ 屋根の下に居て

生活している。

 

 

 

当たり前じゃない、

このおもしろさ。

 

 

2人にも

それぞれの意思があって、

 

ぜんぜん違う特性を持ちながら

 

協力しあって 生きている。

 

 

 

最近

 

わたしが生まれる前の

 

2人の関係性 過ごしてきた時間を

 

想像している。

 

 

どんな話をして

どんな遊びをして

どんなふうに わたしを待ってくれてたんだろうか。

 

 

なんだか そういうのを

想像しながら

 

一緒に 暮らしているのが

 

ふつうに うれしい。

 

 

 

生きてたら

 

いろいろ あるし

 

でも

 

それでも 今に

生きてられている ことに

 

感謝の湧く 眠れない夜。

 

 

 

「惑星」って言葉が 浮かんできた。

 

 

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かてごらいず の はなし

 

いままで

 

なんだか

 

じぶんの 書いてきたことを

 

カテゴリに 分けること

(分類するってこと)に

 

すごく 抵抗があった。

 

 

✳︎

大学3年生?くらいのころから

 

書きためてきた このブログ。

 

 

なんだか とっても

 

今、整理したくなっていて、

 

 

なによりも わたしのために。

 

 

過去のわたしが

 

いろんなヒントを残してくれている。

 

 

 

ああー、これ 、本にしたいって。

 

思っちゃうくらい。

 

 

やっぱり 本にしたほうが

 

読みやすいもん。な。

 

 

✳︎

 

なんで 分類することに

 

抵抗があったかというと、

 

そのとき に 浮かぶ ことばの

 

行き先を 勝手に決めてしまうみたいで、

 

 

なんだか ことばの もつ

 

ひろい ひろい 意味 とか

 

受け手の 自由な 感じ取り方に

 

ゴールを 決めてしまうみたいで

 

 

なんだか、

 

それは

 

 

ことばの 可能性のような

 

ことばの チカラを

 

 

わたしが 制限してしまうような 気がして、

 

 

カテゴライズ したくなかったの です、

 

 

 

なので、 そうですねえ、

 

やっぱ、今のところ、

 

この カテゴライズは

 

わたしの 元で やるってことにして、

 

 

オープンにするのは もちこしで◎

 

 

 

でも、きっと

そう 遠くない未来に

 

なにかしらの ことばのへやが

オープンすると思うのです◎

 

 

 

どうか

 

 

おたのしみに◎

 

 

 

 

生まれるときが

 

生まれるとき。

 

 

ヒラク

ときが

 

ヒラクとき。

 

 

 

そうなっている。

 

 

今が そうなっているように。

 

 

 

 

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クリアになる

ぼんやりしていることを

 

(ぼんやりしていることこそ)

 

発信していると

 

どんどん クリアに なってゆく 気がしている。

 

 

 

今日の小学校からの帰り道

なが~~い 橋を渡りながら

思ったこと。

 

 

 

「来年どうしてるんだろう」

 

 

が、ぼんやりとよぎった 橋の上。

 

 

この状態、だいすきである。

 

 

明日のことさえ、

1時間後のことさえ

わからないのに、

 

また1年後のことを考えてる。。。ぷぷぷ

 

 

でも、やっぱ、わくわくするんだもん。

 

 

 

昨年、想像できなかった日々を過ごしている。

 

徳島に家族と住むなんて 。

 

小学校で 働くなんて。

 

 

!!!

 

 

 

そんな もんなんだろうって 思います。

 

 

だから、漠然とした たのしさが あるんだなあ。

 

 

もちろん、 不安に思う瞬間も あるけど

それは そのとき感じてることであって、

今じゃない。

 

 

 

不安になったら、 また 書き留めてみよう。

(たいがい、不安になってるときは 言語化できないきもちになって、

 緊張していたり、後悔していたり、孤独を感じていたりするとき。で。

 言葉にするのもいやになっているとき。言葉から離れているときである。)

 

 

だから

こうやって

ことばを綴れている状態の私は、

まあまあ 安定していて、落ち着いている のだなあ、と客観的に見て、思った。

 

 

言葉にすることで、自分が一番癒されている、

 

 

言葉に助けてもらっているのは 私自身なのだ。

 

 

 

これからは、もっと、言葉にしてゆこう。

 

 

 

もっと、ぼんやりとしたことも、

はっきりとした感覚も、

言葉にしてゆこう。

 

 

 

今日も、

みなさん お疲れさま!

 

たのしい夜を過ごしましょう!

 

 

631

ちゃーんとギフトは待ってくれてる

今日もたのしかったな!

 

 

 

そんなふうに

へろへろに疲れても

言えちゃうくらい

満たされてる。

 

 

ありがとうー☆

 

 

 

今日うれしかったのは、

 

研修先に

小学生の頃 担任をもってくれてた

恩師が すごく たいせつな お話をしてくれて、

 

わたしのことを 覚えててくれて、

やさしく 声をかけてもらった。

 

背中を 押してもらったよ。

 

 

「遠慮しなくていい

   一瞬 一瞬

   まず 思ったように 動いてみなさい」

 

 

「対応が 後手 後手 に まわらないように。考えすぎて 動けなくならないように。」

 

 

それから 夜には

手話ナイトが 待ってくれてた。

 

 

なんてハッピーナイトなんだ。

 

 

 

わたしがニュージーランド

感じた 手話ナイト♪ 

徳島に ある!!!!

 

 

私が すてきな 先輩に お伝えしたら

いつのまにか 始まっていた

手話ナイト。

 

 

びっくりした。 ほんまに すばらしい。

 

 

 

 

いかに 聞こえるわたしたちは

耳で 言葉を拾っているのかを思い知る。

 

それと同時に

耳以外でも 言葉を交換できる方法

 

手話が 声と なんら変わりない

 

(文法や表現の方法は違うけど)

 

 

同じ 言葉であるということ。

 

 

 

 

やっぱり

 

 

わたしは ことばがすき。

 

 

なんにしたって、

 

ことばがすきよ。

 

 

ことばを 綴るたのしさも

 

言葉を交換しあう たのしさも

 

いちいち 言葉にする 煩わしさも

 

 

どれも 愛おしい。

 

 

 

だいすきである。

 

 

 

なんにせよ

 

どんなほうほうでも

 

私たちは

 

だれとでも 繋がるコトはできる。

 

 

心をオープンにすれば

 

 

 

どこからでも 届いて

受け取ることができるのじゃ♪

 

 

 

ほんとうに

 

ありがとうー☆

 

 

たのしかった♪おやすみ!

 

 

 

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