降る

障害者と健常者ということばがある。

 

私はこの言葉に、

この言葉の存在にこだわり過ぎていたのかもしれない、

 

 

 

「障害者」という言葉

 

 

 

社会のなかにある障害「壁」

(情報が得られない情報保障の面、段差などの物理的なこと、差別や偏見などの精神的なものなど)

 

 

世の中に障害物があるために手助けが必要だったり、

情報伝達の方法が違ったりする人が障害がある人。

 

 

だと私は解釈している。

 

 

だからって「障害者」って言うのはなにかひっかかるものがある。

 

 

 

「健常者」っていう言葉

 

常に健やかな人。

そんな人は果たしているのか??

 

私は健常者ではない。

 

 

とおもう。

 

一般的に障害のない人のことを「健常者」と呼ぶ。

 

友達が言ってくれた、

「健常者って便利な言葉ではあるよね。」

この一言がこころに残っている。

 

 

どう、この言葉をとらえたらいいのだろう。

 

 

でも、よく考えれば、

言葉にとらわれすぎないってことが大事なのかもしれない。

 

 

目の前にいるひとを

ひとりのにんげん、いきものとしてとらえる。

 

どうしても、にんげんを分類分けしてしまう、

国籍、特徴、性差、血液型、年齢、生まれた土地、など。

 

そんなものは本当はいらない。

 

大自然はいつだって、みんなに平等だ。

 

太陽はひとりひとり誰であっても照らす、

風は吹き、雨は降る。

 

 

勝手に私自身が分類分けして、

それらの言葉の存在に嫌気がさしてしまったのだ。

 

 

 

 

「同じにんげんという生きもの」であること

 

それでも

 

「どんな人間であるかどうかは1ぴき1匹違う」ということ。

 

 

 

尊い出会いに感謝。

身を削ってまでお話してくださったことは忘れぬよう、明日も鏡を見て笑う。