蜘蛛の糸のように
障害というものを
必要以上に重く受け止め過ぎないこと
障害によって、
時間がかかってしまったり、
することが難しかったり、
伝わりにくかったり、伝えにくかったりする。
とおもう。
だからって、
~して「あげなければ」いけない。
となるのは違う。
「なにかできることがあるなら、
やるよ??」
という姿勢でいる。
そのほうがラクだったりして、
あなたがそれを望むなら。
わたしはチカラになりたい。
「障害があるけど、がんばっている」
とかって言うひとがいるけど、
障害があっても、なかっても、
頑張るやつは頑張るし、
頑張らないやつは頑張らない。
少し、かんばり時やがんばり方がちがうだけで。
そのひとが「すごい」わけでもないかと。
ただ、同じ人間が
生きている。
それぞれのステップを上がっていったり、
降りて行ったり、くねくねしたり、立ち止まったり、
ただそれだけ。
きっと意識してがんばっていない、
ただ普段息をするのと同じように?
障害と生活していると思う。
ただただ、私たちが、
それを自分の経験したことのない苦労やがんばりのように感じてしまっているため。
もし、自分だったら、「大変」だし「がんばんないとなあ」勝手に思っているから。
だから、障害というものを
重く受け止めすぎず、
でも無視しないこと。
ひとと違うことがハンデになったり、
ひとを救うことになる。
蜘蛛の巣のように風通しはよく、
でも、なにか捕らえるとき、
受け止められる。
蜘蛛の巣のような。