わすれる
きのう書いたことを
かならず、わすれている
会えないあいだに
だいすきなひとのかおも、わすれる。
まるで、
まいにち、
じぶんがちがうひとになっているように。
だれが、書いたんだ、あのつぶやきは。
と、おどろく。
え?じぶん?
わらえる!
ほんとうに可笑しい。
一体、何者だ!
わからない。
*
すきなうたうたいが
「ひとは自分の人生以外、
他人の断片的な人生の一部分しか知ることができない。」
って、川沿いでビール片手に話してくれた。
うん。
ひとの人生のある部分しか、見ていないのに、
わかったような気になって。
みんながみんな、
わかったような、そんななんとなくでいろいろ言うんだね。
おもしろいよね。
じぶんでさえも、
今日と明日の自分がちがうのに。
なにがおこるか、わからないのに。
あはは。
なにがあっても、
ときは一刻一刻と過ぎている。
今日も、川は流れ続ける。
毎瞬、変わり続けるじぶんと、
変わり続ける世界。
あしたになれば、
こんなこと言ってたのも、
わすれてるんだ。