わすれる

きのう書いたことを

 

かならず、わすれている

 

 

会えないあいだに

 

だいすきなひとのかおも、わすれる。

 

 

まるで、

 

まいにち、

 

じぶんがちがうひとになっているように。

 

 

 

だれが、書いたんだ、あのつぶやきは。

 

 

と、おどろく。

 

 

え?じぶん?

わらえる!

 

 

ほんとうに可笑しい。

 

一体、何者だ!

 

 

わからない。

 

 

 

 

すきなうたうたいが

「ひとは自分の人生以外、

 他人の断片的な人生の一部分しか知ることができない。」

 

って、川沿いでビール片手に話してくれた。

 

 

うん。

 

 

ひとの人生のある部分しか、見ていないのに、

わかったような気になって。

 

 

 

みんながみんな、

わかったような、そんななんとなくでいろいろ言うんだね。

 

おもしろいよね。

 

 

 

じぶんでさえも、

今日と明日の自分がちがうのに。

なにがおこるか、わからないのに。

 

 

あはは。

 

 

なにがあっても、

ときは一刻一刻と過ぎている。

今日も、川は流れ続ける。

 

毎瞬、変わり続けるじぶんと、

変わり続ける世界。

 

あしたになれば、

こんなこと言ってたのも、

わすれてるんだ。