デモなんかやったって、何が変わるというのや
「デモなんかやったって、
何が変わるというのや」
そんなふうに、
こころの底のどこかで
あきらめていた、
そんなふうに、
かなしんでいた。
そんなふうに、
憤りをかくしていた。
*
よく晴れた、
今年の311
私は名古屋で行われた
「3.11原発ゼロNagoya Action」にいた。
http://blog.livedoor.jp/genpatuiranganena
メキシコのチアパス州のコーヒー豆を
ひきひきしていた。
コーヒー屋さんは初めてのこと、
てんやわんや、
でもいろんなひとが来てくれてたのしい。
青空の下、
ちゃぶだい囲んで、
コーヒーすする。
*
6年前の
地震が起こった時間に黙祷をする。
太陽に向かって黙祷をした。
すると、こころがおちつかなくなった。
こわくて、くるしくて、
だれかにたすけてほしかった。
*
わたしはちいさいころから、
にんげんにうまれたことがずっといやだった。
にんげんに生まれたことに違和感、
「なんでうちはにんげんなんやろうか」
そんなことをおもってた。
ちいさいころから、
にんげんといういきものがだいきらいだった。
にんげんはわたしのだいすきな自然を、
美しい命を壊してしまう、殺してしまう。
にんげんはうそつきだ。
にんげん同士でも傷つけあう。
自然破壊、社会問題、
新聞やニュース、大学の講義で
現実を知れば知るほど、憤った。
にんげんなんか滅びてしまえ。
本気で思っていた。
でも、
わたしも「1ぴきのにんげん」だった。
あ~あ、
そのたびに、
わたしはどうしていいかわからず、
吠えて泣いていた。
*
黙祷のあと、
その憤りがぐわぐわあ~、っと
湧き上がってきて、
「どうしよう、どうしよう」
涙が出る。
ドクドク、ドクドク、どくどく、どく。
心臓はいつものように動き続けていた。
わたしがこの世に生き続けていることを、
突きつけられる。
*
フクシマの原発、どうなってるんだろう、
原発のごみって、どうなるの?
どうしたらいいのかわかんないのに
(最終処理のこととか事故が起きたときとか)、
どうしてそれを続けるんだろう、
日本各地に原発はあるよね、
見えない放射能から、
どうやって、体を守るの?
草木、いきものたちはまだそこで生き続けているよ。
地元に帰ることができなくなるってどういうことなんだろう?
帰りたいのに、帰れない、
還れない、もう住むことはできないのかな。
広島と長崎に原爆が落とされたよね、
みんな知ってる、
それなのに、どうして原発はいまもあるし、
他国に原発の技術を売ろうとしてるの?
*
なにが平和主義や、
平和ってなんなん。
,
で、それをどうしてわたしは、いままで、
じぶんのはらのなかでぐるぐるまわして、
いかりつづけていたのや。
いまの現状もむかつくし、
じぶんのこともむかつく。
*
刻々と
デモをする時間が近づく。
このまま
コーヒー屋でじぃっとして店番することもできる。
でも、なんか、
なんか、
動き出したかった。
でも、
それが、
こわかった____________。
「デモなんかやったって、
何が変わるというのや」
そんなふうに、
絶望していた。
でも、そんな絶望のなかを
立ち止まっているのもこわかった。
*
ちょうど、その、
こころがおちつかないころ、
コーヒー屋に視覚障害のあるかたが
コーヒーを飲みに来てくれていた。
「デモ、行くんですか?」と聞くわたし。
「いっしょに歩いてくれるひとがいれば、行きたいと思っています。」と、彼。
わたしは、彼と一緒に歩きたかった。
「いっしょに、歩きましょう。」
わたしはひとりで歩くのがこわかったんか。。
わたしは、ひとりで動き出すのがこわかったんか。
*
彼は何度かデモに参加していた。
「デモってなんでするんだろう?」私は聞く。
「主張する、ためかな。」彼は答えた。
そうこうしていると、
マーチングバンドのみなさんが
はじまりの合図を奏でてくれる。
「みんなが歩き始めました、行きましょう○」
彼の手をわたしの肩に置いてもらい、
一緒にあるきはじめた。
*
前でバンドのみなさんが音楽をかき鳴らす、
これは、、「パレード」だ。
だんだんと、
みんなが声をあげていく。
訴える、というより、
歌ってる。
へいわのうた。
ああ、ああ、
こうやって、声に出すのか。
今までの憤り、悲しみ。
涙が出てくる、
ああ、ああ、
そうか、
デモなんかやったって、
なにが変わるというのや。
「「「そんなん、
雷を打たれたように変わるよ。」」」
わたし自身が変わり果てた。
からだもきもちも変わっていくように感じた。
わたし自身が見る世界が一変した。
:
今の状況が、
一瞬で変わるわけないことなんか、
みんな知ってる。
そんな簡単なものやと、
みんな思ってない。
だからって
あきらめてええのか?
ただでさえ、いまの政治のわけのわからん状況。
そのまま、
自分のこどもにバトンパスするんか?
「なんの意味があるのや」
「なにが変わるというのや」
なんて、他人事にしてる場合なんか?
*
声をあげること、
声をあげ 「つづける」ことがだいじなのや。
どこのだれかも知らんひとと歩く、名古屋のみち。
泣きながら、大声出しながら、あるくみち。
なんだかたのしくなってくる。
ゆかいなゆかいなパレードや。
となりには、
初めて会った、おじさん。
いっしょに、声を出す。
だれかと共に在るんだ。
いつだって、
どんなところにいたって。
なんだか、
それがとても特別に感じた。
ああ、なんでも
声を出してみよう。
自分のなかが変わる。
「わたしは、
にんげんとして、
生まれた、
そして、
にんげんとして
これからも生きていく」
*
名古屋での日々、
いろんなにんげんに出会えた。
「にんげんって不完全やからおもろいやん?」
そんなことばももらった。
かっこわるいとこも、
いやなところも、
おもしろがれたらたのしいね。
:
不完全さ、
かっこわるさ、こそが人間味。
にんげんあじ。
みんな、
いっしょに味見してみる?
ひとも、この世界も味見しちゃお。
そうして、
味見の感想は?
どんな味付けにするかはあなた次第。
ふんふふふん♪
おいしい、せかいにしませんか。
たまに、まずいと、わらっちゃお。
いっしょに、
この世をいただきましょう。
*
あの日、目に焼き付いた、
虹色の旗をふるオジサン。
その旗には「PEACE」