ちょっとでもましに
あるとき
大学で
地球温暖化を食い止めるために
どうするか的な話し合いをする機会があった。
当時の私は、
長い長い地球の歴史のなかで
自然な移り変わりで起きていることで
もはや わたしたちが
なにかちからになれるようなものではないとおもう。
てことを言った。
(あきらめというか、流れに身をまかす。もはや、私の手のつける領域じゃない。お手上げというようなスタンスで)
そしたら
わたしのお師匠さんが
完全に地球温暖化を止めるというんじゃなくてね、
今の地球環境が「ちょっとでもまし」になったらいいよねっていうレベルで、まず考えみようってことなんですよ。
自分たちの生きる世界をちょっとでもましにしましょうよっていう意識での行為が積み上がっていくことが
いつのまにか 世界が変わってた。ってことになるのだと思います。
✳︎
わたしは
地球の抱えている問題の大きさに押しつぶされて、なにもできない自分が恥ずかしくて、悔しくて、あきらめていました。
でも「ちょっとでもましに」という言葉ですこしらくになったのです。
ちょっとでもましにするためにだったら、なんか自分でもできるかも。
まず、自分の生活のなかでましにできるようなことはなんだろう。
とか。そんなふうに考え始めました。
なんでも
「ちょっとでもましに」をやってみると
なんか けっこう ちからをぬいて
好きなように 動いていける気がした。
ちょっとでも ましに、
が 、
わたしのなかで
けっこう しっくり、くる。
ましのつみかさねを やってるとこなんよ。
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ちきゅうさんありがとう